お正月前後で見た映画の中で一番印象深かったのがコレ(←リンク先は予告編)。
アメリカ陸軍特殊部隊の志願兵として訓練中、足を負傷したエドワード・スノーデンは軍を除隊。
持ち前の頭脳とコンピューターに関する知識を活かすため、彼が選んだ新しい『戦場』は国家安全保障局(NSA)。
テロリストから母国を守るため、そう信じるスノーデンだったが、自分の構築したプログラムが無実の人を巻き込む『戦場』で使用されていることに気が付く。
そしてNSAが収集している情報の大半がアメリカ国内のものである事実を目の当たりにする。
国家が市民を監視している現実を前にスノーデンが選んだ新しい『戦場』とは。そしてその戦いの先に待っていたのは……。
といった内容。しかも、事実。
色々考えさせられる内容ですが、山田が一番印象に残ったのはどんな出来事でも日常になる、ということでした。
スノーデン氏がハワイで勤務している頃、友人や知人、職場の同僚を招いてホームパーティーを開きます。
そこでの話題はアメリカ軍による空爆について(NSAではドローンによる空爆の監視?確認?もしているようでした)。
アメリカはテロリストの力を削ぐ、という名目のもと、確たる証拠もなく彼らが持っているだろう携帯電話の破壊のため、空爆を実施していました。
そのことについて意見を述べ合うNSA職員達。
職員「攻撃エリアに何かがいた。子供かと思ったが……ポン。報告書が届くと、それは犬、だった。数日後、同じ村で葬儀があった。埋められていたのは子供で両親は大泣き。すると攻撃の指示が……。ポン。全員砂ぼこりの中で死んだ」
絶句する一同。しかし職員は続けます。
職員「しかし、帰宅して妻と子供にキスして、翌日職場に戻るとそのうち、すべてがただの日常になる」
人間は、慣れます。幸か不幸か、どんなことにもそのうち慣れてしまうのです。
僕達が介護支援専門員として関わっている高齢者の方、その家族の方。
彼らが遭遇している介護という問題は、僕達にとっては日常でも彼らにとっては生涯にそう何度も起こらない重大な問題、のはず。
スノーデン氏は自らの全てを投げ打ち、慣れることに対して戦いを決意します。
それは誰しもにできることではありません……当然、山田なんて。
それでも手の届く範囲にあることをできる限りやることが、ちっぽけな市民としてできる精一杯の戦いなんだと思います。
ちなみに、山田が個人的に一番びっくりしたのが、スノーデン氏を取材する記者としてサガリー・クイントが出ていたこと。
サイラーだ! と叫んだ山田はただいまHEROESを鑑賞中なのでした。
ケアマネ的視点
・あなたの日常は、誰かの困難かもしれない。
・自分がその立場に立ったら、と想像することが大切。
・誰にだって、自分にしかできない戦いがあるはず。