今年最後の記事としてふさわしいかどうかは別として、山田は最近、中学聖日記にドはまりしていました(詳細はリンクにて)。
いうまでもなく、中学生と女性教師の禁断の恋……的なドラマです。
色とりどり、多種多様、有象無象の苦難とハプニング、トラブル、不幸、不運etc…に延々と見舞われ続ける末永聖(有村架純)と黒岩晶(岡田健史)。
普段ドラマをほとんど見ない山田ですが、このドラマにはまったのには要因が三つ、ありました。
①多様な視点
主人公は教師・末永聖なのですが、その相手役である黒岩君、そしてその母親、この三者の立場によってドラマの展開が全く異なって見えてきます。
僕は社会的立場的に末永さんの立場で見ていましたが、もう少し上の世代の人達は黒岩君の母親の視点で、もっと若い人達は黒岩君の視点でストーリーを追っていくことになるでしょう。
末永さん的視点としては教師としての立場、教師を続けたいという自分の希望、将来設計と自身の恋愛感情との葛藤に目が向きます。なので時に黒岩君の純粋すぎる気持ちとその表現方法が疎ましくすら感じます。
黒岩君的視点からは、好きという気持ちを純粋に追い求めていく様に共感したり、彼の大胆すぎる行動に憧れたり、それに応じてくれない大人の不自由さや社会の(ある種の)不条理さに腹が立ったりする……のかもしれません。
黒岩君の母親的視点に立てば、その将来を思うがあまり息子と対立してしまうことのやるせなさ、なんだかんだいって黒岩君に近づいてしまう末永先生への憎しみ、教師を続けようとする末永先生への反発……が生じるのかもしれません。
このように一つのストーリーに大きな三つの側面があって、それぞれの人物の内面を思い描く楽しみがある内容でした。
②黒岩君が良くも悪くも普通の男の子
これがこのお話の最重要ポイント!
黒岩君は到底中学生に見えないかっこよさを持ち併せてはいますが、ストーリー上は勉強がよくできる、一途で行動力があり(すぎる)、普通の男の子です。
正直、末永先生が全てを失う危険を冒してまで接触する必然性はありません。
でも、誰かを好きになるってそういうもの、なのではないでしょうか。
時にいらだち、時に共感し、時に首を傾げつつ、もはやピュアな心とは縁遠く成り果ててしまった平社員・山田は黒岩少年に心を潤してもらっていたのでした。
③心地よい逸脱
教師と生徒の恋愛物って、昔からありますよね。
それって多分、人間は心地よい程度の社会的逸脱に関心を抱いたり興味を惹かれるからなんだと思います。
その証拠に、このドラマ、黒岩君が中学生であった第4話まではかなり批判的な意見が多くありました。
中学生と教師との恋愛は、現代の観衆にとっては心地よくなかったのでしょう。
大人は社会の中にいる自分が他者からどう映っているのかを常に意識して生きていかなくてはなりません。心地よい逸脱を描いたストーリーは、そんなほとんど無意識に感じている息苦しさから私達を解放してくれるのではないでしょうか。
ちなみにこのドラマの結末は、まぁなんというか、無難だったかなという気もしました。
万難を排しようやく結ばれたお二人。
バットエンド好きな山田としては末永先生にはとことん全てを失い果ててもらった方がそれまでのストーリーが映えるような気がしますが、それは山田が人でなしだからでしょうか……。
ケアマネ的視点
・大人はみんな大変なんだ、ということを再認識すべし。
・多少のことは笑って許してあげよう。
・でも犯罪はダメ、絶対。